セックスは秘め事であり、子作りのための手段ではない。
そりゃ私だってね、自然にデキる方がいいと思ってるよ。けど、現実問題として35歳を過ぎると自然妊娠で出産まで至るのは、データから見るとなかなか難しいようである。
ダンナさんが「そろそろほしいな」って思ったとたんに、都合よく「デキたよー」なんて、夕食の準備じゃあるまいし、そんな風にはいかないワケです。
ほしいなと思うのはいつなのだろう?そのとき私はいくつなの?その歳って母体に胎児にどんな影響あるかわかってるのかな?
男の人は単純で、自分に都合のよいデータや近頃の芸能人のニュースなんか見て「今、ふつーに40代でも子どもできるじゃん。不妊治療って子ども作ろうと思ってから2年間できなかったらするものらしいよ」なんて物申す。
やれやれ。
20代とか、30歳になったばかりの女に言うならいざ知らず。35歳もとうに過ぎて、いわゆる「マルコー」の嫁に対してあまりにも思いやりのない言葉。こういう記事も読んでるのかなーと思う。
■高齢出産報道は歪められている!? 「高齢出産」より難しい「高齢妊娠」
果たして、彼が“今だ!”と思ったその瞬間に、私にはどのくらいの生殖能力が残されているのだろうか。いや、そもそも生殖能力はあるのだろうか。期待に応えてあげることはできるのだろうか。期待に応えられない私に、彼はどのくらいの絶望感を持つのだろうか。
毎月、少しの身体の変調にも敏感になった。カフェインの入ったものやお酒を飲むのを控えてみたり、生理間際になったら「今月は生理が来ませんように」って祈るような気持ちで眠れなくなってしまったり。身の回りで起こるすべてのことが妊娠の超初期症状なのではないかと期待し、それが裏切られるときのあの言いようもない落胆。
妊婦を羨んでしまう自分。妊娠することができない自身の身体を憎む自分。焦ってダンナさんを責めてしまう自分。両親からのプレッシャー。
負の感情のスパイラルにハマって、だんだん「なんでこんな思いをしてるんだろう。妊娠はしなきゃいけないのか!?」というところまで思考が行き着いて、つかれ果てた後、落ち込む。
なんか、妊娠することが目的みたいになってしまっている自分が気持ち悪い。
今の私はほんとにイヤな女だ。
ダンナさんは我慢強いなと感心する。それと同時に、子どもがほしいのにできずに苦しんでいる人ってこんな感じなのかと客観的に自分を見下ろしてもいる。こりゃぁ鬱々とするわ。
焦る気持ちが先行して、夫婦としての思いやりを欠いている自分。自身も自信も喪失している。そしてお互いを慈しむ行為が、子作りの手段になってしまうのではないかという恐怖。
不妊治療をした夫婦はどのように乗り越えているのだろう。
私たちはどのように乗り越えて行くのだろう。
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2014/01/02 | かづよ備忘録
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