神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記 【元伊勢 籠神社・真名井神社@京都府】前編

天橋立に寄った時、偶然に見つけてお参りした京都府の籠神社(このじんじゃ)と、その奥宮にあたる真名井神社。奈良時代の養老3年(719年)に丹後一の宮に定められた丹後第一の大社で、天橋立の北側に位置し、南向きに鎮座している。

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言い伝えによると、伊邪那岐命(イザナギ)が、籠神社の奥宮である真名井神社の磐座(いわくら:神の依代となる石のこと)にいた伊邪那美命(イザナミ)のもとに通うための梯子が倒れて天橋立になったと伝えられていることから、昔は天橋立は籠神社の参道となっていた。

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伊勢神宮が「前にあった=元になった」と考えられている神社のことを元伊勢という。元伊勢と呼ばれる場所は25ヶ所もあるのだけど、今回訪ねた京都府にある籠神社(このじんじゃ)もそのうちの1つである。

元伊勢はたくさんあるけれども、内宮の御祭神:天照大神(アマテラス)と、外宮の御祭神:豊受大神(トヨウケヒメ)のどちらも鎮座されていたことがある神社はここだけなので、由緒ある神社と言えるだろう。

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神域のため、階段中部から上では撮影禁止


アマテラスとトヨウケヒメが伊勢へ遷宮した後は、彦火明命(ヒコホアカリ)を主祭神として祀り、社名を籠宮(このみや)と改め、場所も奥宮があった場所(現在は「真名井神社」という神社になっている)から現在の場所に遷宮した。

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鳥居をくぐると神門があり、神門の前に石造の狛犬がいた。よく見かける狛犬とは違い、胴と足がどっしりしていて、日本化された石造狛犬としては最高傑作と言われている狛犬だ。鎌倉時代の作と伝えられ、重要文化財に指定されている。

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籠神社の社殿は高床式の素木造り。高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)の座玉(すえたま)が配されている。これは伊勢神宮正殿と籠神社以外では見られない様式で、日本建築史上非常に貴重なものとされている。

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籠神社という社名の由来については、ヒコホアカリが竹で編んだ籠船で海神の宮(わだつみのみや:竜宮、常世)に行ったという故事に因んだものと言われている。

「元伊勢」がたくさんあるワケとは!?

先ほど「元伊勢は25ヶ所ある」と書きましたが、なぜそんなにたくさんあるのか。

伊勢神宮内宮の祭神・天照大神(アマテラス)は皇祖神(皇室の祖とされる神様のこと)であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇の御殿(奈良)に祀られていた。

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日本書紀に「崇神天皇が即位して5年目(BC92年)には流行病で多くの民が死に、その翌年には百姓たちがさまよい、崇神天皇は朝早くから夕方まで神祇(じんぎ:天津神・国津神のこと)を祀って祈った」また「天照大神、倭大国魂(やまとのおおくにたま:倭=大和国の国を創るのに功績のあった神や人のこと。ここではオオクニヌシを助けて大和の建国に尽力した人物)を一緒に御殿内に祀るのは畏れおおくて安からずと、それゆえに天照大神(アマテラス)を豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)に託け(あずけ)祀りて、倭の笠縫邑(かさぬいむら)にて祀り給う」というような記述がある(少し訳しました)。

つまりざっくり言うと、奈良の皇居内にアマテラスとオオクニヌシに縁のある神を一緒に祀っていたら、疫病が流行って大変なことになってしまったので、分祀することにし、笠縫邑に祀った、ということ。

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結局のところ笠縫邑に始まり、その後も理想的な土地を求めて各地を点々としたが、54年かかっても見つけることができず、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命(ヤマトヒメ)が引き継ぐことになり、合計90年ほどかけて現在地(伊勢)に遷座したとされている。

元伊勢があったと言われている場所は下記の通り。最後の伊勢まで来た時にアマテラスがヤマトヒメに夢の中で「ここがいい!」と言ったので、伊勢に祀られることになったという。


※水色は内宮のご巡幸地。ピンクは外宮のご巡幸地。

■伊勢神宮(内宮)ご巡幸地
1.大和国・笠縫邑      檜原神社=桜井市三輪
2.丹波国・吉佐宮      籠神社=京都府宮津市字大垣
3.大和国・伊豆加志本宮   与喜天神宮=桜井市初瀬字与喜山
4.紀伊国・奈久佐浜宮    日前、国懸神宮=和歌山市秋月
5.吉備国・名方浜宮     伊勢神社=岡山市番町
6.大和国・御室嶺上宮    大神神社=桜井市三輪
7.大和国・宇多秋宮     阿紀神社=奈良県宇陀郡大宇陀町
8.大和国・佐佐波多宮    篠畑神社=奈良県宇陀郡榛原町
9.伊賀国・市守宮      宇流冨志禰神社=三重県名張市
10.伊賀国・穴穂宮     神戸神社=三重県上野市上神戸
11.伊賀国・敢都美恵宮   都美恵神社=三重県阿山郡伊賀町
12.淡海国・甲可日雲宮   甲可日雲宮=滋賀県甲賀郡内
13.淡海国・坂田宮     坂田神明宮:坂田宮(内宮)=滋賀県坂田郡近江町
14.美濃国・伊久良河宮   天神神社=岐阜県本巣郡巣南町
15.尾張国・中島宮     酒見神社=愛知県一宮市今伊勢町
16.伊勢国・桑名野代宮   野志里神社=三重県桑名郡多度町
17.鈴鹿国・奈其波志忍山宮 布気皇館太神社=三重県亀山市布気町
18.伊勢国・藤方片樋宮   加良比乃神社=三重県津市藤方森目
19.伊勢国・飯野高宮    神山神社=松阪市山添町
20.伊勢国・佐佐牟江宮   竹佐々夫江神社=三重県多気郡明和町
21.伊勢国・伊蘓宮     磯神社=伊勢市磯町
22.伊勢国・瀧原宮     瀧原宮=三重県度会郡大宮町
23.伊勢国・矢田宮     口矢田の森=伊勢市楠部町 ※社などが残っていない。ただし神宮神田として現在も伊勢神宮に奉仕している
24.伊勢国・家田田上宮   伊勢市楠部町神宮神田南の忌鍬山山頂(西ノ森) ※社などが残っていない。ただし神宮神田として現在も伊勢神宮に奉仕している
25.伊勢国・奈尾之根宮   那自売神社=伊勢市宇治
26.伊勢国・五十鈴宮    内宮=伊勢市宇治

■伊勢神宮(外宮)ご巡幸地
1.丹波国・吉佐宮      真名井神社(籠神社末社)=京都府宮津市字大垣
2.伊勢国・外宮       外宮=伊勢市宇治

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アマテラスを祀った元伊勢は、各地に約4年ずつ宮が置かれていたことがわかっている。これは、神を祀る重要性を人々に示し、天皇を中心とした国家の体制を守っていくことの大切さについて地域周辺の人たちに啓蒙するためにの時間だったのではないかと推測されている。

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また、ヤマトヒメ一行が携えていた神宝は、外敵に奪われないよう、守らなければならないものだった。

ヤマトヒメがご巡幸した当時、中国大陸では秦の始皇帝による統治が崩壊した直後で、多くの人が日本に流入してきていた。渡来者の中には、優れた大陸の文化と経済力により短期間で力のある豪族になった人も現れた。また先住民と渡来者との紛争が各地で生じていたのも想像に難くない。そのような国内情勢が厳しさを増す中、治安が問題視され、三種の神器の安置場所も再検討しなければならない事態になった事が考えられる。

つまり、ご巡幸と称して各地を巡って地域を統治する基盤を築きながら、民衆への啓蒙活動を行い、なおかつ天皇家の象徴である神宝を守護するという目的があったのではないだろうか。

深まる謎。真名井神社はどこにあった?

古文書によると、現在の地に真名井神社が落ち着くまで、周辺で仮に祀っていたことがあったようだ。ところが、下記のような記述が見つかったにもかかわらず、仮で設営した場所はイマイチはっきりしていないらしい。これは謎解きみたいでワクワクする。

丹後国風土記より。

豊受大神(トヨウケヒメ)の指図によって、天香語山命(アマノカゴヤマ)と天村雲命(アメノムラクモ)がこの国の伊去奈子(いざなご)岳にいき、アマノムラクモと(祖母の)天道姫命(アマノミチヒメ)がともに大神を祀り、新嘗(にいなえ:穀物を神に供えること)をしようと考えた。しかし井戸の水がたちまち変わって、(米や麦などを煮たり蒸したりして)ごはんを作ることができなかった。それで泥(ひじ)の真名井と呼ばれた。

そこでアマノミチヒメが葦を抜いて、大神の心を占い、弓矢をアマノカゴヤマにあずけて「あなたは3回その矢を放ちなさい。矢がついたところが必ず清いところです」と言った。アマノカゴヤマが矢を射ると、この国の矢原(やぶ)山についた。ところがその矢に根が生え枝葉が茂った。それでその地は矢原(やぶ)と名付けられた。このため、その地に神籬(ひもろぎ:「ひ」は神霊、「もろぎ」は籬(まがき)で神を守る意。神霊が憑依している山、森、老木などの周囲に常磐木を植え、玉垣を結んで神座としたもの)を建て大神を遷し祀った。こうして初めて墾田を作ることができた。

この東南3里ほどのところに霊泉が湧きでた。アメノムラクモがその霊泉を泥真名井にそそぎ、荒れ水を和らげた。そこでその泉の名は真名井と呼ばれるようになった。

これを今の地名に当てはめて紐解いてみた。

伊去奈子(いざなご)岳=磯砂(いさなご)山
沼の真名井(まない)=女池(めいけ) ※天女伝説が残る池
矢原(やぶ)山=笶原(やはら)神社 ※真名井神社に遷る前に立ち寄った場所とされている

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舞鶴市公式WEBサイトより「真名井の清水」

順番は前後するものの、場所だけは特定できそう。磯砂山から水を引いて田んぼを作ろうとしたけど水が悪くてダメで、真名井神社に遷り、良い水場を探したところ、その場所から東南に約3里ほど(実際には4.8里ほど。約19km)行ったところにある笶原神社の清い水(笶原神社の裏手に平成の名水百選にも選ばれた「真名井の清水」という湧き水がある)が良いことがわかり、それを眞名井神社に移植したのではないだろうか。

丹後風土記残缺によると、丹後の真名井は京丹後市峰山町の磯砂山に端を発し、豊受大神の遷座と共に新たに湧き出したとされています。つまり最初は磯砂山の女池、次は籠神社奥宮真名井神社の鎮座する真名井ヶ原で、それが濁ってしまって、笶原神社の真名井の清水を探しだしたのではないか。

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そのおかげもあってか、真名井神社の境内には今でも水が湧き(一時、枯れて深く掘り直したということだが)、多くの人がポリタンク持参で水を汲みに来ていた。

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ところで、真名井神社は古くは「匏宮(よさのみや:吉佐宮と書かれることもある)」と呼ばれていた。これは真名井のかたわらに天の吉葛が生え、そこになった匏(ひさご:ひょうたんのこと)に水を入れて神に捧げ、御饌を料理したことに由来している。

参考文献
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州

神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記

0.神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼 【序章】
1.諏訪大社上社本宮
2.猿田彦神社・佐瑠女神社
3.元伊勢 籠神社・真名井神社【要約版】
 ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(前編)
 ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(後編)
4.伊勢神宮(外宮)
5.伊勢神宮(内宮)
6.出雲大社
7.須佐神社
8.伊弉諾神宮
9.熱田神宮

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