神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記 【元伊勢 籠神社・真名井神社@京都府】要約版
天橋立に寄った時、天橋立の北側にある京都府の籠神社(このじんじゃ)と、その奥宮にあたる真名井神社を偶然見つけてお参りした。
伊勢神宮が「前にあった=元になった」と考えられている神社のことを元伊勢といい、西日本を中心に25ヶ所もあるのだけど、今回訪ねた京都府にある籠神社もそのうちの1つだった。
元伊勢はたくさんあるけれども、内宮の御祭神:天照大神(アマテラス)と、外宮の御祭神:豊受大神(豊宇気毘売神:トヨウケヒメ)のどちらも祀られていたことがある神社はここだけなので、由緒ある神社と言えるだろう。
アマテラスとトヨウケヒメが伊勢へ遷った後は、彦火明命(ヒコホアカリ:アマテラスの孫)を主祭神とし、社名も籠宮(このみや)に変更して、場所も奥宮があった場所(現在は「真名井神社」という神社になっている)から現在の場所に遷った。
古事記・日本書紀などから読み解く「元伊勢」
先ほど「元伊勢は25ヶ所ある」と書いたが、なぜそんなにたくさんあるのか。
伊勢神宮内宮に祀られているアマテラスは、第10代崇神天皇の時代までは天皇の住まいの中(奈良県にある)に祀られていた。
しかし、崇神天皇が即位してから5年目に流行病で多くの人が死に、翌年には飢饉が起き、国中大混乱した。その原因がどうやら皇居内に天の神であるアマテラスと、土着で信仰されていた神々(倭大国魂:ヤマトノオオクニタマ※)を一緒に祀っていたことらしいとわかったので、それぞれ分けて祀ることにした、と。
※ヤマトノオオクニタマとは……天皇の祖先であるアマテラスが信仰される前まで大流行だった、土着の神の頂点であるオオクニヌシに縁のある神々の総称。国を統一するために働いた人たちを祀ったものと言われており、当時の靖国神社的存在と言える。
天皇は自分の娘である豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)にアマテラスの魂がこもった鏡と神宝(三種の神器を含む)を渡して、祀るのにふさわしい場所を探させたが、54年間かかっても良い場所が見つからなかった。そこで、次の天皇(第11代垂仁天皇)の娘である倭姫命(ヤマトヒメ)にバトンタッチし、さらに34年かけて今の伊勢神宮内宮に落ち着いたのだ。
※水色は内宮(アマテラス)、ピンクは外宮(トヨウケヒメ)の軌跡。
※詳しい場所については神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記 【元伊勢 籠神社・真名井神社@京都府】前編よりご確認いただけます。
元伊勢があったと言われている場所は上記の通り。伊勢まで来た時にアマテラスがヤマトヒメに夢の中に出て「ここがいい!」と言ったので、伊勢に祀られることになったという。
神話に潜む「政治」のミステリー
当時、中国大陸では秦の始皇帝による統治が崩壊した直後で、多くの人が日本に流入してきていた。彼らの中には、製鉄や稲作などの先進的な文化と経済力で豪族になった人も現れ、朝廷にも出入りしていたことが予想される。
国内各地で勃発する先住民と渡来者の紛争、朝廷内での派閥争い(天皇派 VS 渡来派)が厳しさを増す中、治安が問題視され、皇居内で保管していた三種の神器も安全な管理が難しくなった事が考えられる。
そこで「アマテラスを新たに祀る場所を探す」と称して各地を巡り、地域を統治する基盤を築きながら、民衆への啓蒙活動を行い、なおかつ天皇家の象徴である神宝を守護するという目的があったのではないかと言われている。
神話から読み解く「籠神社・真名井神社」
さて本題。籠神社・真名井神社に関連する神様は赤丸で囲んだ3柱。
籠神社の公式WEBサイトによると、アマテラスの孫である彦火明命(ヒコホアカリ)はトヨウケヒメの魂がこもった鏡(上記写真)を授けられ、それを祀って国を治めるよう命じられたのだそう。
この鏡は、いずれも中国製で、息津鏡は直径17.5cmで後漢時代(紀元50年~100年頃)に、邊津鏡は直径9.5cmで前漢時代の後期(紀元前1世紀後半。弥生時代中期)に作られたものとみられている。……つまり、元は中国の宝だったわけ(中国の皇帝から邪馬台国の卑弥呼に贈られたものの内の何枚かではないかと言われている)。渡来者からすると、もともとは自分たちが造ったものを日本人が持ってるのは気分良くなかったんだろうねぇ。きっと。
ともあれ神話に戻ると、ヒコホアカリはその鏡を持って丹後国(旧丹波国)に降り立って、トヨウケヒメを祀るのにふさわしい場所を探した。それが「匏宮(よさのみや:現在の真名井神社)」だ。
それ以来ヒホコアカリの子孫である海部(あまべ)家がこの一帯を治め、政治力をなくしてからは世襲制でトヨウケヒメの祭祀を担当することになり、現在に至るまで継承しているのだとか。
豊受大神ってどんな神様?
ところで、伊勢神宮にアマテラスと並んで祀られるほどのトヨウケヒメって、一体どんな神様なのだろう。
古事記によると、トヨウケヒメは、伊邪那美命(イザナミ)が火の神を産んだ際、陰部をヤケドして寝たきりになり、その寝たきりのイザナギの尿(ゆまり)から生まれた稚産霊(ワクムスビ)の娘で、アマテラスの孫にあたる女神とされている。
神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司っている。後に、ほかの食物を司る神同様、稲荷神(別名は倉稲魂命:ウカノミタマ。いわゆるおいなりさんのこと)と同一視されるようになった。
一方で、天女であるとするこんな逸話が残されている。丹後国風土記逸文によると、丹波郡比治里の比治真奈井(ひぬまのまない)で天女8人が水浴をしていところ、老夫婦がそのうち1人の羽衣を隠したため天に帰れなくなり、その老夫婦の娘として暮らすようになった。
その天女は万病に効くという酒を造り、機織りも教え、家はたちまち裕福になった。しかし、十数年後にその老夫婦に「あんたはウチの娘じゃない!」と急に家を追い出され、あちこち彷徨った末、最後は奈具(なぐ)の村(現在の京都府宮津市のあたり)で祀られた。この天女こそ、豊宇賀能売神(トヨウカノメ)つまりトヨウケヒメであるというのだ。
……ひどい話だ。救いがない。ちなみに、薬酒は口から吐いて造っていたそうですよ。造るとこ見たらちょっと飲めないよね。うぇっぷ。
ま、神様としてもイメージ大事だもんね。酒を吐く女より、アマテラスのお食事係の女神っていう方が 断 然 好 感 度 高 い 。
ところで、なんでトヨウケヒメが伊勢神宮外宮に祀られることになったかというと、第21代雄略天皇の夢枕にアマテラスが現れて「自分一人では食事もできないほど淋しいから、トヨウケヒメ呼んで」と言ったので、丹波国から伊勢神宮外宮に遷されたとのこと。
トヨウケヒメについては色々謎が多いので、伊勢神宮外宮編でもう少し探ってみようと思う。
神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記
0.神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼 【序章】
1.諏訪大社上社本宮
2.猿田彦神社・佐瑠女神社
3.元伊勢 籠神社・真名井神社【要約版】
ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(前編)
ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(後編)
4.伊勢神宮(外宮)
5.伊勢神宮(内宮)
6.出雲大社
7.須佐神社
8.伊弉諾神宮
9.熱田神宮
前の記事: 神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記 【元伊勢 籠神社・真名井神社@京都府】後編
次の記事: githubでbasercms本家の更新に追従しながら独自appを構築する
コメント/トラックバック
トラックバック用URL:
この投稿のコメント・トラックバックRSS