神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記 【猿田彦神社・佐瑠女神社@三重県】
次に訪れたのが、三重県の伊勢神宮の内宮と外宮の中間に位置する猿田彦神社と佐瑠女(さるめ)神社。
猿田彦神社は、全国に2000もあるといわれる猿田彦大神(古事記では猿田毘古神と書く。サルタヒコ)を祀る神社の総本社といわれています(三重県鈴鹿市の椿大神社:つばきおおかみやしろが、総本社という説もある)。また、その子孫であり、天照大神(アマテラス)をこの地に導いた(それにより伊勢神宮ができた)とされる大田命(オオタノミコト)も祀られています。
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サルタヒコは背丈が大きく赤い顔をして、鼻が長い神様と伝えられており、天狗の元になったのではという言い伝えもあるそうです。各地の祭りでは先頭に立って神輿などを誘導していることも多く、道案内(啓行:けいこう。みちひらき)の神、良い方向に導いてくれる神として信仰を集めています。
みちひらきの神様は、交通安全に関しても霊験あらたかということで、我が家は車の厄払いをしてもらいました。
境内には、ここで祈ると子宝に恵まれるという「子宝池」や、
宝船のような形をした石の上に蛇が乗っているように見える「たから石」という非常に縁起が良いと言われる石が安置されています。
また本殿の前には「古殿地(こでんち)」と書かれた八角形の石が安置されています。猿田彦神社の本殿は、1936年(昭和11年)の遷宮により今の場所に設えられました。旧本殿のご神体が安置されていた場所こそ、この古殿地なのです。古殿地は長きに渡り「神の依代が鎮座されていた」ので聖なる場所とされています。
自分の干支の文字のところを手で文字が写るぐらいしっかりと押さえて祈るとよいそうです。また、仕事運は亥→卯→未、金運は巳→酉→丑、家庭運は申→子→辰、人気運は寅→午→戌の順に触れるとご利益があると言われています。
本殿の裏側に回ると「御神田(おみた)」と呼ばれる田んぼがあり、神様に供える「神楽米」を作っています。田んぼの3/4はもち米。1/4はコシヒカリ。
毎年5月5日に、豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御田祭」が執り行われ、桃山時代を思わせる装束を着けた植方が、八乙女(8才の8人の童女)から玉苗を受け取り、田楽に合わせて苗を植えるのだそうです。
収穫された米は神様に供えた(献饌:けんせん)あとは、祈祷を受けた人に渡されています(撤饌:てっせん。神前の供物を下げること)。いただいた米は神棚に供えるのではなく、食べてしまうのがよいのだそう。神様に供えたことによりパワーが宿った米なので、食べることで神様のパワーがもらえるのだと、神官の方が教えてくれました。
猿田彦神社の境内には、向かい合わせるように佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が建てられています。佐瑠女神社に祀られているのは、天宇受売命(アメノウズメ)です。彼女は、天の岩戸に隠れたアマテラスを呼び戻すために、ストリップダンスを演じたことで有名な女神です。神社で行われる「神楽(かぐら)」は「神が楽しむ」と書きます。この時のストリップで岩戸前に集まった八百万の神たちが大いに盛り上がったことから、神楽はアメノウズメの踊りが起源といわれています。
しかし、なぜ猿田彦神社の境内にアメノウズメが祀られているのでしょうか。
神話から読み解く「猿田彦神社」
猿田彦神社・佐瑠女神社に関する神様はこの4柱。
あるとき、アマテラスは孫の邇邇芸命(ニニギ)に天孫降臨(天津神の子孫が地上に降り立つこと)して葦原中津国(あしはらのなかつくに:昔の日本、つまり地上のこと)を治めてきなさいと命じます。そこでニニギは、天児屋命(アメノコヤネ)、布刀玉命(フトダマ)、天宇受売命(アメノウズメ)、伊斯許理度売命(イシコリドメ)、玉祖命(タマノオヤ)の五伴緒(いつとものお)と呼ばれる5柱の神様を率いて天降り(あまくだり)することに。
すると、天之八街(あまのやちまた)と呼ばれるいくつかに分かれた分かれ道に、高天原から葦原中津国までを照らす神の姿が。そこでアマテラスと高木神(タカミムスビ)はアメノウズメに、その神に誰なのか尋ねるよう命じました。その神は国津神のサルタヒコと名乗り、天津神の御子が天降りすると聞いて先導のため迎えに来たのだと語ったのです。
そうして啓行(けいこう:みちひらき)をし、天孫を九州の高千穂へと導いた後、五十鈴の川上(伊勢)に帰り、ここを中心に広く国土を開拓指導したとされています。サルタヒコは、天孫降臨の際、啓行したことから、道案内の神、善い方向に導いてくれる神として信仰されるようになりました。
サルタヒコが帰る際、ニニギは「サルタヒコに独りで対面して名前と正体を尋ねたアメノウズメ、お前がサルタヒコを送りなさい。そしてその神の名(猿田毘古大神:さるたひこ)を名乗って仕えなさい」として、アメノウズメを送り出しました。そのため、アメノウズメは「猿女君(サルメ)」と名乗り、付き従うことになったのです。※昔は、神の名をもらうことで、その神の力を身につけることができるとされていた。
そのため猿田彦神社の境内には「佐瑠女(さるめ)神社」があるのだといいます。
しかし、それは神話の話。実際には伊勢を中心として治めていたサルタヒコを、大和の使者であるアメノウズメ(サルメ)に監視させる目的があったのではないかと言われています。
時は流れて第11代垂仁天皇の時代(紀元前5年~70年)に、猿田彦の子孫である大田命(オオタノミコト)が、垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(ヤマトヒメ)に伊勢の五十鈴川上流の地を献上し、ヤマトヒメは紀元前5年(垂仁天皇25年)にアマテラスの祭祀を託され、現在の伊勢神宮内宮ができたと言われています。ここでもサルタヒコの子孫ならではの「導く」能力が高く評価されているのですね。
神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼記
0.神話を巡る冒険:伊勢・出雲巡礼 【序章】
1.諏訪大社上社本宮
2.猿田彦神社・佐瑠女神社
3.元伊勢 籠神社・真名井神社【要約版】
ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(前編)
ちょっと難しい元伊勢 籠神社・真名井神社(後編)
4.伊勢神宮(外宮)
5.伊勢神宮(内宮)
6.出雲大社
7.須佐神社
8.伊弉諾神宮
9.熱田神宮
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